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2008.12.11

青酎

玉川高島屋の地下の酒売り場をうろついていたら「青酎」という名の芋焼酎をを発見。製造所は東京都青ヶ島村無番地 青ヶ島酒造合資会社とある。懐かしさに思わず手にとってそのままレジに直行してしまった。

AochuAochu2医者になって3年目、都立病院に勤めていたときのこと。もう30年近く前のことである。僻地勤務の医師が休暇を取るときの代診と言うことで八丈島の南にある青ヶ島というところに2週間の期限で派遣された。消防庁のヘリで木場から八丈島まで。そこで給油して青ヶ島まで。普通は八丈島から週2便出る船で片道3時間かかる。
当時の人口は190人。地方自治体としては小さい方から2番目だったと思う。小学校、中学校はあるが高校になると八丈島か本土に寄留する。そんなところへ新米の小児科医が行って何の役に立つのかとは思ったが面白そうだったので手を挙げた。
島に着いたらすぐに運動会だった。小中学校会わせても30人ほどの生徒なので運動会の主役は島民全部である。ヒマなのでのぞきに行ったら「マラソン成年の部」というのがあった。宿のおばさんにけしかけられて飛び入りで参加することにした。参加者は村の青年団、工事で来ている建設会社の若い衆など。
とりあえず一周はトップを取ってやれとスタートダッシュ。意外にみんなついて来れない。運動場の周回まではダントツのトップである。外に出る頃には息が上がって心臓が飛び出しそうになっている。その頃はまだ「走る小児科医」の看板は掲げていなかったので、走るトレーニングはゼロ。若いと言うだけで、ペース配分はめちゃくちゃだった。折り返し点につく頃には次々と後続に抜かれ、運動場に戻ってきたときはヨレヨレで吐きそうになっていた。何とかゴールしてへたり込んだところに青年団の人がやってきて、この後打ち上げをやるからおいでと言う。
何とか復活したので打ち上げに行くことにした。
役所と学校と道路工事が島の最大の仕事先である。青年団の人たちは村の職員、学校の先生、公募で本土からやってきた教育長さんなど。私が診療所に着いてから挨拶したのは数名だったのでほとんどの人は知らなかった。よそ者がトップ引きで走っているのを見て○○組(建設会社)の若い衆だろうと話していたそうである。診療所の代診の医者だと言うことがわかって、まあまあ一杯、一杯が二杯に。
島の若い人たちで青ヶ島の歴史物語りを芝居にして上演した話などを聞いて大いに盛り上がる。原作は元村長。
火山の噴火で島民全員が流刑の地八丈島に避難。島の噴火が落ち着いて還住を果たすまでに村長が三代代わったという。その時に劇中で使ったという新作の太鼓「還住太鼓」というのを村おこしに普及させると言うので教えてもらう。こちらもついつい、手持ちの宴会芸などを出してしまって、もう止まらない。
そういうことがあって、それからの毎日はほとんど誰も来ない診療所が終わったら村の若い衆と集まって麻雀と飲み会。島に一軒のスナックでカラオケ。2週間はあっという間に過ぎた。
ある時、おもむろに、とっておきの酒があるので飲ませてあげる言われて出てきたのが青ヶ島焼酎。もうとっくに時効なので書いてもかまわないと思うが、酒税法違反のお酒である。島で取れる農産物はアシタバとサツマイモくらいなので当然芋焼酎である。アルコール度数は測る機械がないのでわからないが推定50%とも70%とも。瓶の口にはなにやら白い結晶がついている。強烈な匂いとねっとりとした舌触り。八丈には「鬼ころし」という酒があるけどこれはまあ人殺しだなということで「人殺し」と呼ばれているそうだ。飲んで死にはしなかったが、強烈な酒だった。
その時以来、二十数年。たまたま見つけた青ヶ島焼酎は35度だった。あの時の「人殺し」よりだいぶ薄くはなっている。しかし、強い芋の香りとねっとりした口当たりは同じルーツを感じさせる。
この「青酎」があの時の密造酒の末裔というわけだ。高島屋の地下の酒売り場で青ヶ島の焼酎を見つけたことに感慨一塩である。

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