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2008.05.18

四十九日

母の四十九日の法要で奈良に帰る。この間の7日ごとの逮夜はすべてパス、一応東の空の下でお線香を上げていることになっていたが、まあALOHA〜なこともあったりで喪中という暮らしではなかった。せめて四十九日はちゃんとしましょという圧力には抗しきれず粛々ととりおこなうことにした。朝から墓参り。懸案の「先祖代々の墓」を発見。なんだ、こんな所にあったのね。何で見つからなかったのだろう。

法名碑には母の名前がすでに刻まれていた。石材店を継いでいる小学校の同級生に頼んであったのだが、仕事は早い。浄土真宗では戒名と言わず法名という。一般的な庶民は「釈 ○○」というのが普通。この○○に生前のゆかりの文字を使うようだ。母の場合は名前から「幸」の字をとって「釈 幸妙」。女優に「釈由美子」さんという方がいるがあれは法名かと言えばちと違う。あれは芸名、本名かもしれんが。

前夜に中学高校と同級だったY君と久しぶりに会う。Y君とは母親同士が女学校で同級生ということで中学の入学式で引き合わされた。12歳の時のことである。それ以後、学園祭の演劇などで長い長いおつきあいとなった。中学1年の時に「バナナン大将」(宮沢賢治)に一緒に出たのがはじまり。中学2年の「三年寝太郎」(木下順二)でY君は学園祭のスターの座を獲得した。学校中が彼の中学生とは思えない演技に驚いた。このときの体験が彼の人生を決めたのではなかったろうか。中学3年では私が「いやいやながら医者にされ」(モリエール)で主役デビューしたのだがこれはあまりぱっとしなかった。このときは自分が将来医者になるなどとは思ってもみなかったのだが。
高校2年では「袴だれはどこだ」(福田善之)を一緒に実行委員会を作って上演した。これは自分たちで言うのも何だが、当たった。おもしろかった。時は1968年であった。「演劇の革命ではなく、革命の演劇を」というスローガンは高校生だった私たちにも届いていたのだった。
Y君はその後早稲田の演劇科に進んで、プロを目指した。私は医学部に「逃げた」。
その後のY君の悪戦苦闘については本人が自分のHPに書いているのだが、とにかくいろいろあって奈良に戻ってきた。これからは奈良で再出発だそうだ。
Y君と出会わなければ私が「歌って、踊って、芝居のできる小児科医(笑)」を目指すこともなかったろう。

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コメント

土曜日は、有難う。片岡大先生は、ボクたちにとって、誰よりも素晴らしい、唄って踊れる小児科医です。ボクの憧れのスーパースターです。片岡大先生のご先祖様のお墓にも、今度、お参りさせていただきます。たとえ、どのような、ご無体なご命令でも、わたくしめは、伏して、お従いいたします。今後とも、末永く、アナタ様の犬=下僕として、たとえ、どのような生き恥をさらしても、アナタ様を世界の歌って踊れる小児科医=世界一のスーパースターにすべく、微力をかたむけさせていただきたいと存じております。

投稿: 山田陽一 | 2008.05.19 03:42

法名、というところでぴんと来ました。
うちの実家もそうで、昨日が49日の父の法名もやはり「釋○然」という3文字でした。
仏壇に置いてある、最近まで位牌と思い込んでいた塔の形のものは、過去帖を仕舞う入れ物でした(汗)

投稿: つる | 2008.05.28 19:32

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