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2006.07.17

家族のゆくえ

連休といえどとりたててやることがない。家でごろごろしていてもうっとおしがられるだけなので、奈良のグループホームにいる母の面会にゆく。前夜泊まった実家は夏を迎えてえらいことになっていた。笹をはじめとした雑草がひたひたと母屋に攻め上ってきて、緑の魔境と化している。来年の夏にはどうなっているのだろうか。

1ヶ月半ぶりに会った母はずいぶんしっかりしていた。骨折以来怪しかった食事もほぼ介助なしでできるようになっている。それでも、記憶の方はどんどん洗い流されていくようだ。家族や家のことを思い出してもらおうと、施設の方が妹が持ち込んだ写真を大きく引き伸ばして壁に貼ってくれている。代々いた猫、妹一家、大学時代の私。それを、見ながら、母と話をするのだが、自分の父母もわからない。母方の祖父母以下連れ合い、孫まで全員が写った写真がある。若い母が写っている。これがお母ちゃん、若いねえ、と言うと頷くのだがわかっているのかどうか。その中にいないのが二人。私といとこのS。どちらかがシャッターを押しているのでいないのは一人。もう記憶がないのでわからないが、いないのは私だったと思う。
20歳を過ぎる頃まで、家族で写真を撮るのは疎ましくてならなかった。カメラが趣味だった父がカメラを向けるとさっと横を向いた。幸福そうな家族写真というのは罪悪のように思えていた。
新幹線の中で読もうと思って、買ったままになっていた吉本隆明の「家族のゆくえ」をかばんの中に放り込んできた。吉本隆明というと今では「パパばなな」で有名だが、私らが若い頃には小生意気なガキに一番影響力のある「思想家」だった。その吉本が「家族のゆくえ」の冒頭で、太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」という言葉に触れている。この言葉に大いに影響されながら、違和感も持っていたと。この言葉にアイロニカルな意味が込められているのは読めばわかるが、そのころの私はストレートに受け止めていた。世の中が変わらないのは、みなが家庭のちまちました幸福をもとめているからではないのか、と。読みが浅いと言われればその通りなのだが、「家庭の幸福は諸悪のもと」は長い間の呪縛だった。
写真をながめながら「幸福な家庭」だったのだなとつくづく思った。つかこうへいは、せめて赤坂の芸者に産ませた子だったらよかったのに、と登場人物に言わせたけど、それは若気の至りだなとおもう。無くなってしまってからわかるのだけれど。

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